先日東京マラソンが行われた。
その日は都内でボランティアの仕事があり、道路が混むことが懸念されたので渋滞に巻き込まれないことだけが気になっていたが、早く出たこともあり意外にも国道246は全く関係なくスムーズに運転できた。
帰宅後、ニュースを見てみると序盤で転倒した選手がいて、それでもその後持ち直して快走したが、あと数秒の差でオリンピックの代表資格を逃した一連の状況が放映されていた。
転倒さえしなければ、オリンピックに出場することができたため、ゴール後に激しく泣いていた。
もう少し運さえあれば、オリンピックに出場することができたのは誰の目にも明らかだろう。
大会直前は、練習するよりも何よりもひたすら勝利することをイメージトレーニングする方が結果が出るように思う。
大谷翔平選手が、運を向上するためにゴミ広いを行っていたことは有名な話であるが、実際のところ運はある程度向上させることができるように思う。
昨今のスピリチュアルブームもあり、「思考が現実化する」のは世間一般にも認知されてきたと思う。特に経営者や資産家は、そういった要素を重視する人が多いのも事実である。
むしろ、一発屋的な人を除き、それなりに長続きする人は積極的に活用している人が多い。
しかし、私は今はそういった事には消極的である。(注:昔はどハマりした時期もあった。)
確かに、一定の効果や作用は認められるが、ポジティブだけを求めるのは違う気がする。
誰しもネガティブを避けたいところである。
しかし、トータルで見ると必ずしもそうではないのである。
引き寄せの法則などを使ってポジティブだけを取ろうとすると、自分の壁とか新たな気づきや成長なく、ずっと同じような所でぐるぐる回っているだけのようになってしまう。
自分の壁を超えたり、大きな成長を遂げるのは、ほとんど大きなネガティブの後である。
話を戻し、仮に東京マラソンで惜敗した選手が、転ぶ事なくゴールできたとしよう。それで、オリンピックに出場できて、そこそこ奮闘し入賞とかできたとしよう。
それは選手として光栄なことであり満足いくものだろうと思うが、長い目でトータルで見た時に、残念な結果となった今回のケースの方が、この選手はもっと大きな何かを結果的に掴むような気がしたのである。
死力を尽くしたのであれば。
なぜならば、私が一つの記事にしてしまうほど、こんなドラマチックな展開はそうそう無いからである。
大きな振れ幅がある人の方が、大きな成長を遂げる気がする。