遺伝子と教育に関して、面白い動画を見つけたのでご紹介します。
このオッサンの話によると、幼児教育や小学校・中学校などで塾に通ったりして勉強しても、その成果がそのまま反映されるのではなく、人の能力は遺伝子である程度決まっている、というものです。
確かにそうかもしれません。小学校や中学校で学級委員などをやっていて優秀なイメージの方が、大学以後では勉学においてはパッとしないとか、そういうパターンを見聞きしますし、体操選手などアスリートで、中学校くらいまでは神童と呼ばれながらも、その後あっという間に後進のアスリートに追い抜かれ挫折することはよく聞く話です。
そもそも、優秀かどうかについて学校の勉強ができるとか、走るのが速いとかかなり偏ったごく狭い範囲の尺度しか使っていないため、人の能力を測るものさしとしては全く不十分ですが・・。
私が勘違いし、間違っていた通説の1つは幼児英語教育に関するものです。
英語は、幼い頃にネイティブ英語に慣れて勉強しておくと、英語が話せるようになるという教育法で日本では広く通説として認知され、多くの親が実践されていると思います。
しかし、上記の考えは、今では自らの体験も踏まえた上で、完全に間違っていたと思います。
具体的には、幼い頃にネイティブ英語に慣れ親しんで学習した事は無駄にはならないが、何歳になっても、英語を話せるようになることは可能であると思います。
40歳でも50歳でも60歳でも。
覚えるスピードや柔軟さなど、年齢によって時間がかかったりするとは思いますが、幼児期に英語に親しまないとネイティブ英語を聞き分けて、しゃべることが難しいという事はまったく無いです。
日本では、子供の幼児期に英語を熱心に勉強させようという親がかなり多いと思いますが、それよりも8歳くらいまでは一切英語に関わらせずに日本語をしっかり学習する方が良いと個人的には思います。
私たちの歴史認識とは若干異なり、日本語はかなり古い言語であると思います。
また、他の諸外国の言語と異なり、日本語は右脳と左脳の両方を使う言語であるという説もあります。
すなわち、左脳が言語の文法構造、語彙、発音などを処理するために特化していると考えられているため、言語処理は一般的には左脳を使って処理されるとされています。しかし、日本語に関するいくつかの研究では、日本語の場合は左脳だけではなく右脳も使用されていると考えられています。
それは、日本語に特有の曖昧さを含む文脈や、非言語的要素(例えば、言葉の間の沈黙やあうんの呼吸など)が重要な役割を果たしており、これらの要素は、コミュニケーションにおいて不可欠ですが、これを処理するには、右脳も使う必要があるため、左脳と右脳の両方を使っているという説です。
右脳は、感情、音韻のパターン、イントネーションといった、言語のより微妙な側面を表現するために必要で、外国人のように身振り手振りしなくても、言葉の力によってそういった勘定や微妙な心の動きを相手に伝えることができるのです。
したがって、日本語のように文脈や非言語的要素が非常に重要な言語では、右脳も活発に働く必要があります。
また、日本語には複数の文字体系(ひらがな、カタカナ、漢字)があり、これらを読み解く過程でも右脳を動員する必要があると指摘されています。例えば、漢字のように意味と形が密接に関連する文字は、視覚的なパターン認識が要求され、右脳も同時に必要になってくるのです。
中途半端に幼児期に英語を学習するよりは、右脳も左脳も同時に活性化できて、漢字含めて色々な歴史背景などが形に象形され、練られて考えられた日本語をしっかり学習する方が良いと思うわけです。
後からいくらでも、日本に居ながらにして英語をしゃべって仕事をすることができるので、大事な幼児期はしっかり日本語を学習してほしいと思います。
ちなみに、私が英語をしゃべれるようになったのは、サラリーマンを辞めて独立した後だったので、35歳頃でしょうか。
何となく気になった無料セミナーを聞きに行って、その時に「自分の強みを2つ持ちなさい」というアドバイスを受けました。2つあるとぐっと希少価値が高まって、仕事に困らない、というお話でした。例えば、東大出身だけでは世の中数多くいるが、東大かつバイリンガルとか、強みが2つあるとクイズ番組に出られるでしょう?と言って、当時のタレントを例に持論を展開されていました。
そこで、単純な私はITが強い(プログラマー・ITコンサルタント)だけでは不十分だし、ITに強くて女性、だと数は少ないものの、可愛げのかけらもなく、そこは全く武器になっていなかったため「そうだ、英語を喋れるようになろう」と思い立ちました。
英語がしゃべれるようになったのは、それから1年半後くらいですが、それは私が頭が良かったからとか、特別ではなく、誰でもやり方次第で必ずしゃべれるようになると思います。
やり方を知っていた(情報力があった)だけです。正しいやり方をすれば、誰でも何歳でも、根気が無くてもしゃべれるようになります。
それはまた別の機会に話したいと思います。