氷河期世代というと、ネガティブなイメージで捉えられることが多いと思います。
ここに、氷河期世代」とは、1970年代前半から1980年代前半に生まれ、2000年前後に大学や高校を卒業して就職活動を行った世代のことです。
1990年代初頭、日本のバブル経済が崩壊し、長期的な景気低迷(「失われた10年」)が続きました。
この時期、多くの企業は経済不安により採用人数を大幅に削減し、結果として新卒者が就職できるチャンスが著しく減少したため、この時期の高校・大学の卒業者は、適切な職に就く機会を得られず、アルバイトや非正規雇用として仕事をすることを余儀なくされた、というものです。
要は、高度経済成長を20代で経験して会社の成長と共に自身の生活を豊かにすることができた「団塊の世代」(別名「高度経済成長期世代」)の子供の世代のことです。
団塊の世代 は、第二次世界大戦後のベビーブームに生まれた人口の多い層で、戦後の日本経済復興を支える労働力として活躍し、高度経済成長期を謳歌しました。
彼らが成長するに伴い、家電製品や自動車といった生活水準が近代化し、マイホームやマイカーを手に入れ多くの人が中流階級としての生活を享受しました。
家庭内貧乏と高度経済成長
私が小学校低学年の頃は、子供ながらにそういった世の中の楽観的で好景気にわいた楽しい雰囲気は感じ取っていて、多くの大人が浮かれていました。
その浮かれた大人たちの先頭集団を走っていたのが、私の父でした。
父は、転勤の多い業種として有名な証券会社の営業として才能を開花し、愛知県から横浜支店の課長として転勤することとなり、ノリに乗っていました。
母の話では、仕事を毎日17時に終わらせて部下10人近くを引き連れて毎晩クラブで明け方までフィーバーしていたとのことでした。
自宅に帰って来るのは週末だけだったようで、私も父を見かけるのは月に2、3回日曜にリビングで寝っ転がった父を見かけた程度でした。
そんな華やかな生活とは裏腹に、私や弟と母は家庭内貧乏の真っ只中で、貧乏な生活をしていました。
父は生活費として月2万しか家庭に入れて無かったようで、母はそこから日々の生活費や子供の学校で必要となる諸経費を賄わなければならず、生活に困窮していました。
その当時の話に何かの拍子でなってしまうと、母がいかに生活が苦しかったかを話し始め、「パンツ2枚でやりくりしていた」と言うので、「それってどんな生活〜?」とツッコミ入れようとすると、母が激しく泣くので、笑い話にはできませんでした。
よほど苦しく惨めな生活だったのでしょう・・。
私はまだ小学校低学年でよく分かっていなかったものの、自分の家はよそ様の家と違って、貧乏なのだとずっと思っていました。
当時もっとも格差を感じていたのは、ファミリーコンピューターというゲーム機が買ってもらえなかったことでした。どうしても遊びたくて、夢にまで出てきたファミリーコンピューターをやるために毎日友達の家に入り浸っていました。
自宅には、エアコンが無かったこともあり、最終的には友達に嫌がっている事を知るまでほぼ毎日誰かの友人宅で過ごし暗くなるまでファミリーコンピューターをやっていました。
習い事や塾なども無かったので、毎日ヒマでした。
ただ、帰宅すると母が毎日わら半紙にえんぴつで数学の問題を1問作ってあって、友達の家に出かける前にそれを解かなければならないルールがあり、何とか成績を上げてほしいという母の思いは伝わっていました。
他方で、父は車を頻繁に乗り換え、後部座席のスペースがほとんど無いようなスポーツカーを購入するので、
ーこんな所に押し込めやがってー 小学校低学年が座っても少し屈まなければならないような車に不満を感じていました。
父が若い部下たちと夏はタイやアメリカへ、冬は毎週末スキー場へナンパも兼ねて遊びまくって青春を謳歌する一方、私と弟は擦り切れた2枚くらいの服を着回して、穴があきまくった靴下とボロボロになった靴と不器用な母がカットした散切り頭でつつましい生活をしていました。
一度思いつきで父が横浜駅前の高層ビルの鉄板焼きレストランに私たちを連れていったことがあり、明らかに場違いで恐縮していましたが、父は「板さん板さん」と気安く話しかけ、頻繁に来ているようでした。今思えば。
帰り際に料理長が出口まで挨拶しに来ていました。
そんなギャップを感じる出来事がたまにあったものの、母は悪口を言わない人だったため、我々兄弟は騙されていることに全く気づけませんでした。
結果、せっかくの高度経済成長期ではあったのですが、バブル時代の恩恵を感じたことは、ありませんでした。
節約のため電気を付けないので、真っ暗なリビングで煌々と光るテレビでシティポップが流れるベストテンという歌番組をよく見ていたのが高度経済成長期の思い出です。
氷河期世代の新たな意義づけ
私のケースは稀ですが、一般的には 氷河期世代というのは、両親が高度経済成長に乗って暮らしを豊にしていく姿を見て育っているため、今度は自身が生計を立てて暮らして行く中でマイホーム、マイカーなどの資産を築きにくかったり、就職で苦労するなど大なり小なりギャップを感じたのだと思います。
ただ、私はここであえて氷河期世代にポジティブな意味を見い出したいと思います。
経営者となって感じたのは、氷河期世代が最も仕事ができた、ということでした。
したがって、履歴書を見る順番としては、20代後半、氷河期世代が先でした。
氷河期世代は、粘り強く、やはり(年の功もあり)経験が豊かで、仕事がしやすいと感じました。
加えて、最近発見したというか、思ったのは氷河期世代は霊的な観点で見ると、非常に特別なのではないか?と思いました。
氷河期世代は、霊能力がある人、持ってる人、(あるいは選ばれていると言った方がいいか)の割合が多いなと個人的に思っています。
要は、日本という特殊な国において、戦後に生まれ、子供ながらでも高度経済成長の生活を体験し、バブル崩壊のあおりを真正面から受けて就職で非常に苦労し、団塊の世代によるパワハラ・セクハラをもろに受け、そして令和という言わば最終章に突入するにあたって、未だ動ける年齢というか元気に活動できる年齢ではあるので、その人生経験は他の世代では到底真似できない卓越したものがあります。
そういった事もあり、霊能力が高かったり、霊視やチャネリングできる(?)、みたいな本物の人は、ほぼこの世代なのです。(たまたまかもしれませんが)
スーパースター揃いです。
もっと自信持っていいし、一番すごい経験している世代として今後ますます混沌としていく不明瞭な世の中において、時代に求められ、大きく貢献し活躍することが期待されているのだと思います。