これは私からのプレゼントのようなものです。ご縁のある方だけが知る事ができる情報だと思います。
一般的に健康について意識されている方は、添加物をなるべく避け、栄養あるものを摂ろうという意識で、ある程度食べ物について配慮されているかと思います。
10年くらい前でしょうか。やたらとタンパク質が重要で、炭水化物や野菜ばかりでは体力がつかない、みたいな情報をテレビで何度か見ました。
ニュースなどで100歳以上の長寿の方が、肉をよく食べるといった話題です。プロテインなどの補助食品も、トレーニングしている人以外でも、一般的に利用されるようになりました。
江戸時代の日本人
一方で、日本人は元々肉を食べる習慣が無かったため、日本人の腸に合わないなどと行った話も見聞きします。
そもそも、昔の庶民的な日本人は何を食べていたのかと言うと、
- 玄米みたいなお米
- たくあんとか漬物
- 野菜や豆など
- お味噌汁
肉や魚は当たり前に食卓に並ぶものではありませんでした。タンパク質が必ずしも必須のものではなかったのだと思います。
明治以前の日本では、飛脚(郵便など重要な荷物を走って届ける仕事)が、東京(江戸)から京都まで数日で走って到着したので、外国人が驚いたという話があります。
同じ距離を西洋人が馬車で走った場合は、馬を休憩させながら、時間がかかるそうです。
その時代の日本人は細身ながら筋肉ムキムキで、無尽蔵のスタミナとパワーがあったと言われています。
その様子を見た外国人が、こんな日本人に肉を食べさせたらもっと早く走れるし、すごいパワーを発揮するのではないか?と飛脚に肉を食べさせたところ、体力が落ちて、少し走ったらバテてしまったそうです。
つまり、タンパク質が無ければ筋肉が付かないわけではなく、肉や魚を食べなくても、筋肉をつけることができるのではないか? という疑問が生まれてきます。
「食事にはタンパク質を取る必要がある」
「タンパク質が筋肉の元」
という考え方自体が、テレビの洗脳の1つである可能性があります。
タンパク質が無くても筋肉が付く仕組みは、下記のブログで詳しく解説されています。
「炭水化物からタンパク質を合成できる人体!肉食よりごはんを食べる方が長生きできる理由とは?」
ルイ・ケルブラウンという人物によって体内で元素転換が行われていることが実証され、
それによると、人が何を食べても身体の組織に必要な栄養成分をいつでも確保できるという事になります。
日本人が肉食を食べるようになったのは、明治天皇による解禁令と奨励がきっかけのようです。
日本人はこれを1200年間守り生き続けてきた。
— 侠客ジジイ総本家 (@banruikyouson) March 7, 2024
明治維新で偽物天皇が、
明治4(1871)年12月、明治天皇は肉食解禁令を出して、天武天皇が禁じた肉を自ら進んで食べることを宣言した。
と偽の朝勅を出して、日本人は肉食をし出した。
これが日本人衰退の大きな原因の一つ。
天武天皇は正しかった。 https://t.co/My0yqVdzFF
「とにかく私たちは、本来菜食主義の民族だったという事です。こちらの本にもありますが、日本は国として「肉食禁止令」を7回も出しています。これは世界で唯一の国という事らしいです。」(あんみんブログ)
動物を見ても、草食動物は一日中立ちっぱなしでスタミナがある一方、肉食動物は狩り以外は寝てばかりで持続的な体力はなさそうです。
食べ物に関する常識を覆す事実
さらには、肉食べなくてもいい、という話以前に、そもそも人間は食べなくても生きられるという考え、主張があるのを知ってますか?
古くはブッダが悟りを開いて何ヶ月も食べずに生きることができたと言われていますが、大気中に存在しているプラーナとか(呼び方は色々ある)呼ばれるものがあり、呼吸だけでエネルギーを取り入れることができ、本当は人間は食べなくても生きられる、という話すらあるんです。
以前の記事で紹介したフリーエネルギー(銅と磁石だけあれば、誰でもカンタンに電気を作れるという話)とも関連するようです。
「不食という生き方」秋山 佳胤 (著)
不食に関しては、実践している人が少しずつ出てきています。
驚きですよね〜・・
10年以上前かな? 行列のできる法律相談所という番組で丸山弁護士という方が食べなくても平気だし全く食事しない、というような話を言っていて司会者からバカにされていましたが、ほんとの事だったのかもですね。。
「ブレサリアン」=呼吸だけで生きる人という意味で、そう呼ばれています。
ブッダが奇跡を起こしたから、そういう事ができたのだと思っていましたが、本来人間は食事しなくても生きることができる可能性があるわけです。
歴史の教科書には存在していない消された文明と呼ばれる昔の文明では、人々は食事する習慣が無かったという説もあります。
実際に食べないで生きてる人がいるってだけでも驚きです。
食べ物と波動との関係
では、なぜ食べることが必須として習慣化され、さらには肉食が重要であると言われているのでしょうか?
食べ物というのは、栄養を摂るという効果以外にも注意を払うべき影響があるようにも思います。
それは、単に成分やエネルギーだけではなく、その食べ物が持つ波動みたいなものも取り込んでしまうという可能性です。
すなわち、「肉食というのは、家畜が人により無惨に殺される時のネガティブなエネルギーをも取り込む事になり、それを食べた人間の意識にインプットされてしまう」という説です。
日本では、麻酔を使うヨーロッパ諸国と異なり、畜産業において飼育の仕方や屠殺の方法が残虐であることが以前から指摘されています。
下記の動画では日本最大の加工会社での様子がナレーション付きで解説されています。
https://twitter.com/N4er5BANKPkQFQe/status/1690166439611940864
ヨーロッパでは、グラスフェッドバターが好まれており、牛の飼育方法にも注意が払われています。
牛が自由に歩き回れる形でのびのび育ったのか、それとも牛舎に閉じ込められて身動きできないような飼われ方をしたのかが重視されています。
上記の日本の家畜を食べることで、自分で意識する以上にはるかに多くのネガティブな波動の影響を受けている可能性があります。
なお、ビーガンでは動物に対する扱いが酷いから、食べないのですが、食べる必要が無いから食べないのとは少し発想、考え方が異なってくるように思います。前者は、対立を生み出しやすいように思います。動物に対する配慮は正しいと思いますが。
マ○ドナルドの都市伝説
食べ物を使って波動のレベルで人間に悪影響を与えているという仮説を立てた理由の1つに、マ○ドナルドの件もあります。
マ○ドナルドのハンバーガーには人肉が使用されている?という都市伝説が世界各地であります。
それが仮に万一事実だとすると、なぜそんな事をやる必要があるのか? 不思議に思ったからです。 色々な犯罪発覚リスクや甚大なコストがかかるはずなので、人肉を使うことはコストカットでは決して無いはずです。
波動の話を聞いたときに、共食いである点や、殺される時の知能の高い人間の無念や哀しみが、より大きく人間の波動に影響を与えるから、人が食べるものにこっそり混ぜている可能性があるのでは?と推察しました。
本来の人間の役割
こちらの動画で紹介されている動けなくなった鹿を助ける人間の姿。
神様と言われるものが仮に存在するとすれば ーー
それこそが人間に望んでいることです。
この子鹿はなぜこの家の人間が、動けなくなったお父さん鹿を助けてくれると思ってこの家を訪ねたのだと思いますか?
それにも理由があります。
地球に住んでいますから、動物と仲良くしていきたいですね
— marico (@marico19143032) August 20, 2024
この子鹿は、お父さん鹿を人間に助けてもらおうと、やって来ましたhttps://t.co/eIFCAWI1hA pic.twitter.com/pasqiz9SKX
動物ができない事を助けてあげるのが人間の役割なのに・・。
それなのに、動物を助けるどころか虐待して食べている。
知らないから仕方ないとは言え、とんでも無い話です。
動物に感謝とか、そういうものじゃない。タンパク質は食べなくて良いのですから。むしろ食べない方が病気になりにくいのですから・・。
とある実験
そこで、私はやってみたのです。
昨年夏頃から肉を食べないという実験です。
平飼いの卵とかエビとか食べてるので、ビーガンではないですが。
しばらく続けていると、ずっとしゃがんで急に立ち上がった時に立ちくらみを起こすようになりました。
農作業や家のリフォームを行っているので、その動作が多いのですが、急に食事を変えたため影響があったのだと思います。
ただ、その時にネットやテレビでやたらと切り干し大根を1日に何度も見かけ、まるで切り干し大根食べなさいと言われているような気がしたので、食べたところ、立ちくらみは無くなりました。
続けていると少しずつ色々な変化が出てきました。
まず、野菜がとても美味しく感じられるようになったことです。
野菜は、どちらかというと付け合わせのイメージがあり、脇役のおかずという感じでしたが、1つ1つの野菜の美味しさを実感できるようになってきました。
次に、動物との距離間が変わってきたように思います。
野生動物が近寄ってきたり、挨拶のような事をしてきたり、何か動物と近くなってきたような出来事がたまに起きるようになりました。
以前、ある農場を訪れた時のことです。
大きな農場の中でニワトリが10羽ほど飼われていて、話していると私の周りにニワトリが集まってきました。
その中でも一番楽しそうに走り回って遊んでた子(ニワトリ)が私の前に来て、「クー」(遊ぼう)と鳴きました。
農家の方が、普段はこんな風に来ないと不思議そうに見ていました。
ただ、これは数年前からも1年に1、2回ほどそういう出来事があったので、この件の因果関係ではないかもしれないですが。
私は神経質に食事制限などはしておらず、単なる興味でやってみた程度ですが、人は食べなくても生きられるということを頭の片隅に入れておくと色々な選択肢が広がって良いかもしれません。